セカンドライフは、より良い自分になれる世界

セカンドライフという有名なゲームの位置付けについて、『つながっているのに孤独 人生を豊かにするはずのインターネットの正体』での見解が興味深かったので、ご紹介します。

“私たちはソーシャル・ネットワーキングを自分自身になるために使うが、オンライン上の自己は独自のふるまいをすることがあり、実際の自分とは異なる性格を展開させていく。そして、そのほうが”よりよい自分”と思えることもある。アバターに手間ひまをかけると、誰かにそれをほめてもらいたくなる。” p.287

現実世界では、どうしても過去の自分から逃れられず、きれいごとのように、いつだって人生やり直せると言うが、そう簡単にはさせてくれない。それこそ、自分のことを誰も知らない人の回りに行かなければ、やり直すには、それ相当の覚悟、意志力が必要となる。
やり直したい、もっと、自分にとっていい環境の中で生きていきたいという願望から、ネットの世界に行くと、誰も自分のことを知らない状態で、世界がリセットされたかのような感覚で、人とコミュニケーションを取ることができるのではないかとも思える。
やり直したいという中には、後悔も入っていると思われる。
もっと、こうしておけば良かったとか、本当はこうしたいのに、いつもそんなふうに出来ないとか、それができるのが、ネットの世界の存在ではないかとも思える。
そう考えると、本当にセカンドライフを楽しむ、疑似体験ができるということで、新しい自分を試すことができる場所になるということになる。
“よりよい自分”、思っていた、理想の自分になれることで、以下のようなことになるのかもしれない。
“ピートは「現実の」妻のアリスンには、心配事を話したくないと言う。妻は「僕が死んで自分一人が残されるのではないかと心配するだろう」。しかしジェイドになら話せる。「セカンドライフでは、現実よりもよい人間関係ができる。自分がいちばん自分らしく感じられる場所なんだ。ジェイドはありのままの僕を受け入れてくれる」。これはとても皮肉な話だ。” p.286
この例でのアリスンとの関係は、良好ではないかと思うが、ピートは、この心配事を話すと、悲しませてしまうから、悲しませたくない想いで、話していないのだと思われるので、そう考えると、とてもいい夫婦関係ではないかと思うが、もっとよりよい自分を、セカンドライフでは演じることができる。いや、本当の自分はどっちなのか?
おそらくは、セカンドライフのジェイドとは、なんでも話せる仲になっているだけで、心配事と話したとしても、受け入れてくれるという間柄なのだろう。面倒にならない関係ということなのだろうか、一緒に苦労を共にした現実の夫婦だからこそ、心配なのであって、面倒なのではないかとも思うが、それがストレスになっている状態で、そのはけ口がセカンドライフの存在になっている。
本当は、こんな感じの夫婦がよかった。という感じなのかもしれません。実際にそんな夫婦になった場合、無い物ねだりで、同じことの繰り返しになるのかもしれませんが、もうやり直すことができない現実世界で、生きていく術にもなってきているのかもしれません。
現実世界で、浮気をしているよりは、健全?かどうかは、答えに困りますね。

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