建造物は芸術であり、暮らしをスタイルするものである

建造物というものは何なのかについて、『建築の見かた』(ヴィトールド リブチンスキー (Witold Rybczynski))は教えてくれています。

 

”「目的が作品行為を支配しなけばならない。」これが建築を絵画や彫刻と行った純粋芸術として区別するものである。” p.25

作品行為を支配しなければならないという意味としては、ある程度の縛りがあるということです。

車のデザインをするのに、タイヤを四角くデザインすることは出来ません。なぜなら、車としての機能を削がれてしまうから。また、フォルムも、他の車に迷惑をかけることができないので、ある程度の枠にはめられた中でのアイディアとなるわけです。

これは、料理人も当てはまることであると、著者は述べており、天然素材、人の好み、食材同士の相性と行ったように、自身の全くの自由にならないという拘束が発生している。このような拘束部分も同じなのだが、建築物と同様に、料理は栄養(有用さ)、盛り付け(堅固さ)、美味しさ(悦び)がなければならないとしているこの3つの点も、一緒であると述べている。

建築物は、まず、中は何が入るのかによって、目的が決まる。その目的に合わせて、設計が始まります。

目的に沿って、使用が当たり前にできること、機能していること、使用する者によって、デザインを変えることができること、適応できること、そして、建物自体が、美しいこと。

当たり前の機能が使用できるということは、建造物自体が、私たち人間の暮らしにとっては、精神を安定させるための重要な要素(衣食住)としても存在しているから、こんなにも、いつの時代も需要があるのだと思われます。

建築物は、人間が住むだけではなく、人間の居場所としての役割にもなるので、周りの環境との調和であったり、距離感、光、清潔感など、様々な要素が、縛りのある中で表現していかなければなりません。

シンプルなようで、大変難しく、センスや、アイディア、思いやり、経験、ユーモア、こだわり、アイデンティティが求められるという、芸術先品であり、暮らしに寄り添う存在であるのが、建造物という位置にあります。

今まで、そんな目線で、建造物を見たことがなかったので、なんとなく、ちょっと違うなーとか、規則的な部分が見惚れてしまうなぁなど、本当になんとなく見てきてしまった、自分を悔やんでいます。

これからは、この建造物を創造した人、どんな経緯で作られたのかなども考えることで、もっと理解が深まるような気がしてきました。

 

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