個性を認めるなら、個人の考えに首を突っ込むな

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写真:品川ラッシュ

個人を尊重し、個性を認める。

女でも、男でも関係なく、その人間を尊重すること。

尊重するということは、どういうことなのか。

アルフレッド・アドラー氏は、他人に対して、こう言っている。

 

「相手があなたをどう感じるか」は相手の課題である。

 

この相手というのは、自分以外の全ての人に当てはまる。

例えば、子どもであったり、配偶者も同様である。

夫婦は、どうしても、姿を見ただけでも、血糖値が上がってしまうというほど、険悪な雰囲気になってしまうご家庭も存在しますが、そんな時にも、この「相手の課題である」ということを意識すれば、気持ちが楽になります。

そして、何よりも、個人を尊重していることになるのです。

夫婦であるが故に、近くに存在しているので、嫌なところが誰よりも目についているはずです。思い通りにしてくれないと、その都度イライラしてしまう。

そして、配偶者がイライラしている姿を見て、責任を感じてしまう方もいるだろう。

だが、上機嫌な時もあれば、不機嫌な時もある。

それが、よく分からないと悩んでいる方は、ぜひ、こう思って欲しい。

それは、相手の課題であるということを。少なくとも、私自身は救われました。それでも辛いときはありますが、本当に個人を尊重するということは、こういうことであると体感することができました。

そして、その課題に対して、勝手に背負うことによって、苦しい思いをしてしまうということ。

イライラして欲しくないからと、どうしてなのかを課題を一緒に背負うということをしたことで、何か変わるだろうかと考えて欲しい。

その課題を理解することはいいかもしれないが、一緒にアドバイスをしても、解決しなければならないのは相手自身である。

ここで、やらなければならないのは、見守ることが最善であるということです。

また、逆も言えます。

自身で課題を抱えており、それについて、解決しようとしている時に、相手が入ってきたら、「これは自分の課題である」と述べ、自分の力で、乗り越えなければならないと、きっぱりと分けることで、自分自身も尊重することができるようになると、個人的には思います。

 

例え話で、夫婦を出しましたが、これは、子どもに対しても同じです。

今直面している課題に対して、大人がどの程度手を出すのか、どうやって解決するための手段を教えるのか、が大事になります。

大事なのは、相手の課題を知っていて、それに対して、見守ることで、放置ではないということです。

 

子どもの場合には、今の状態から、もう少しで解決するというタイミングを見計らい、環境を用意する、最善な声の掛け方をするということに、教育の難しさがあります(最近接領域:ピアジェ)。

このタイミングを図るために、放置ではなく、見守ることが大事なのです。

 

もう一つ言えるのは、悪口を言われた場合にも、この考えができます。

悪いと思っているのは、相手の課題だからなのです。

思い込みなだけなのかもしれない、ただの八つ当たりかもしれない。

自身は誠意を持って生きているのであれば、何も気にすることはないということです。

 

この考え方ひとつで、気持ちが楽になってくれたら、嬉しい限りです。

 

註:『アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉』小倉 広 ダイヤモンド社 2017-08-31

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