教師は「探求者」であること

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写真:乃木坂

フィンランドの学校の教師は、知識は、更新可能なものであり、他の学習者と一緒に、組み立てられるものとして、教師養成に関する研究書に、指摘されているのだそうです。

教育は、こうあるべきであると示されてしまうと、それに向かわなければならないが、このように、他の学習者と共に、組み立てるとすれば、常に知識は時代の変化によって、更新することができます。

 

また、教師は、生徒に対して「メタ認知」を、構成していく方法論を教えることが、仕事とされている。

メタ認知を構成させるのではなく、その方法論を教えることが、教師としての務めであるとされているのです。

 

このメタ認知を構成していく方法論とは、学習者が自分自身の知識を統制し、積極的に学習者となる為の戦略として、知り得た知識を自分なりに構成していくための、支援者として、教師の立ち位置があります。

 

もちろん、教師は教えることが仕事であるのですが、フィンランドでは、国家カリキュラムの定めている枠内であれば、教師の活動は、高い自主性が保証されており、さらに、「教える」という教育から、「学ぶ」教育へ転換が行われたことで(1994年の教育革命)、教師自身が、「探求者」となり、そして生徒にとっての「支援者」とされることになっています。

教師自身が、自ら望む方法で、教える自由が、国から許されているので、教え方は、教師に依存すると言うワケです。教師という職業は、自由が与えられながらも、国から高く評価されており、評価されているのだそうです。

 

フィンランドの教師が、学校での教え方は、人によって異なりますが、生徒に対して、学び方を学ぶというレベルから、さらに踏み込んで考えられており、知識をどのように構成したらよいかと言う方法を教えているのだそうです。

そして、最初に戻りますが、身につけた知識は、常に更新が可能で、他者との共同において構成されていく、というような、社会構成主義的な、学習理論を学校の学びの場では実現されているそうです。

国としては、この教育権限が、国から、生徒のより近くにいる、教師へと移行したということによって、世界一の教育水準になったと思われる。

 

教師という職業ではあるが、生徒に対して、「探究者」(自ら積極的に学ぶ者)として育てるには、自らが、まずは「探求者」でなければならないのではないかと、考えさせられます。

そして、この探求する心を持つ者は、教えるものではなく、支援していくものとなるので、何を教育するのかという面では、日本とは、大きく異なっていることが、理解できます。

教師自身が、この探求について、考え、その考えのもと、形にしていくというのが、フィンランドの教師の勤めであるということが、分かりました。

 

註:『フィンランドは教師の育て方がすごい』福田 誠治 亜紀書房 2009-03-01

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