被害者の習慣化

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写真:品川

社会学、社会心理学の世界では、被害者は、被害者の枠割を演じているのだそうだ。

 

誰だって、こんな役割を担いたくないはずだが、その役割となっている人は、普段の習慣が問題になっているという考えがあります。

 

この被害者の役割は、例えば、「逃げる」「近づく」「叫ばない」「集団訴訟に出ること」などが考えられ、最後の1つの枠割は、「犯罪の達成を寄与すること」なのだそうだ。

この考えは、フォン・ヘンティッヒ(1941)氏の論文です。

 

他方としての意見では、精神医学者である、エレンベルガー氏は、フロイトの精神分析、ユングの分析的心理学を基礎として、潜在的被害者となる類型として、

「自己嫌悪に陥る」「自罰傾向のある人」「憂鬱症の人」「アベル症候群の人」と掲げています。

 

他方では、ウォルフガング氏は、被害者の落ち度について、促進性という概念を設けて、殺人の警察記録からデータを分析した結果、26%は被害者の軽率例だとしています。

これは、被害者から、原因となる”事”を起こしており、先に刺激や暴力を使った事が認められたのだそうだ。

 

先に紹介したフォン・ヘンティッヒが指摘されたように、ある場合においては、被害者が犯罪の決定者であるという結論を支持するものであった。

 

ここから言える事は、犯罪者だけが、原因から結果まで、全ての責任を負うとは言い切れないという事になる。そして、攻撃的、粗暴、強力であるというのは、必ずしも正しくないと結論づけている。

 

 

犯罪者として役割を担った人が、むしろ被害者ということは、大いにありうると、個人的には思っている。何もないところに、犯罪は起きないのではないかとも思っている。

 

気になったことは、「犯罪の達成を寄与すること」という言葉だ。

おそらくこれは、被害者にならない人物であれば、犯罪を犯罪として達成をさせないという抵抗のようなものが、生まれるのではないだろうか。

犯罪者が犯そうとしている罪に対して、受け入れて、協力をしてしまうということなのかもしれません。

 

また、「逃げる」というのは、立ち向かう人に対しては、犯罪を達成するのが、簡単に済まないからではないだろうか。

 

「近づく」というのは、危険なものに対して、安易に触れてしまう、いや、触れていたら、もう手遅れかもしれません。近づくだけで、巻き込まれてしまうのですから。

 

日本の警察記録から、データを分析できたら、少しでも社会の役に立つのではないだろうかと、本気で思っている。警察署内では、研究がされていることを願っているが、それを警察署内だけの秘密にしておくという考えなのだろうか、アメリカのFBI的な感じだろうか。

全くわからない。

 

 

註:『犯罪学への招待』守山 正,西村 春夫 日本評論社 1999-05

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