孤独の価値観

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写真:レッジョ・エミリア街道

雨が降っている状態のイタリアも、美しいと思ってしまったので、写真を撮ったことを思い出してしまいました。

写真は、イタリアですが、これから紹介をする国は、イギリスになります。

 

日本での”孤独”は、協調性が求められている文化背景が根強くあります。

例えば、保育士試験の中にも、ケース問題で、1人、外れて活動している子どもに対して、どのように対応するか?についての、正解は、グループの中に誘ってみるというものです。

まずは、1人外れて活動している子どもに対しての情報が少なすぎるので、まずは情報を集めることが大切ではないかと個人的には思います。

1人で取り組みたいことがあるのかもしれないですし、どうして、1人でいてはいけないのか、不思議でなりません。

狭い環境の中で、たくさんの人がいる保育園にいるだけで、ストレスが溜まってしまうのに、子どもだって、1人でいたいことだってあるかもしれません。

ですが、このように、1人行動を図っている者は、ちょっと危ない存在、普通じゃない存在として、レッテルを貼った状態で見ているのが、日本の傾向ではないかと思います。

 

日本と比べるのは、イギリスです。

イギリスでは、人間は、孤独でいることが、あり前であるという考えがあるのだそうです。

だが、無理をして1人でいる必要はなく、寂しいと思うときもあり、辛いと思うときもある、しかし、前提として、孤独があるので、その上で、生活を築いていることから、他の人の孤独も理解することができ、お互いに助け合うという考え方も、生まれてくるというワケなのだそうです。

 

何が言いたいのかと言うと、”孤独”は、寂しいものであって、それがイコール”悪い”と、連想してしまうのは、間違っているのではないかと言う話です。

だって、人間は孤独な生き物であり(もしかしたら双子は違うのかもしれませんが)、それが悪いと言うのは、いかがなものであるのかと。

 

真実を受け止めている、同じように存在しているようでも、意識しているところが違うことで、他人に対しての接し方なども変わることで、人生の質までも、変わってくるのではないかと、個人的には思っています。

今までと同じように、人と一緒にいても、意識が変わっただけで、人間は儚い存在なのだから、今を大切にしたいと、心の底から思えるようになり、また、自身が孤独を感じたときでも、みんな孤独なんだと分かれば、不安な気持ちにもならないでいられるのは、幸せなことではないだろうか。

 

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註:「大人の国イギリスと子どもの国日本」マ-クス寿子 草思社 1992年07月01日

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