自己を表現できる適齢期

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レッジョ・チルドレンでは、おなじみの画なのですが、日本では、0歳児(1歳くらいまで)に対して、絵の具を持たせる機会なんてことは、まず与えられないと思います。

言語を習得している最中で、一体何を考えているのか、分からない状態の時にでも、自分を表現する手段は「泣く」以外にもあります。

母国語以外の言語を、本気で習得している人なら、一度は味わったことがあるであろう、伝えたいことがあるのに、うまく伝えられない時、泣きたくなった経験はないだろうか。大人なので、実際には泣かないが、子どもは、このストレス状態であると分かると、一段と子どもへの理解や、向き合い方が変わるので、いろんな意味で、第二言語を習得することは、個人的にオススメしたい。

 

本題から外れてしまいましたが、この画を見て、表現しているという意識ではなく、絵の具と向き合っているのだと、個人的には思います。

大人もそうですが、初めてのモノや、コトに触れるときには、それが一体なんなのか、ご自身のペースで、それに向き合うと思います。

だいたい、子どもの時には、「これは、こうやって使用する」と教えられて来たと思いますが、それがないだけで、新しい使い方や、新しい発想が生まれたりするのではないかと、思っています。

私が思うに、大人は、自然と、子どもの可能性を潰してしまっていると思っています。

 

この状態になるのに、大人はどのようにして促したのか、不明ですが、だいたい、子どもは手で触ったり、口に入れたりとするが、それがなく、筆を使用しています。

もしかしたら、その段階を経て(手で触れ合う→口に入れる→筆と触れ合う→筆を舐めるなど)、ここに行き着いた状態の瞬間で、その綺麗な画なのかもしれません。

絵の具の場合、顔や、体に塗るなどといった現象もありますが、もしかしたら、この子は、偶然にも、手につけたくない、汚したくないタイプだったのかもしれません。

なので、色々と、奇跡の1枚なのではないかと思ってしまいます。

 

私が、言いたいのは、これではなく、まずは、目の前にあるモノに対して、触れ合うことで、そのモノを知り、そのモノを通して、自分を知ることができると、思っている。

この絵の具であれば、絵の具にふれあい、気がすむまで、向き合うことが、すなわち、自分自身と向き合うことと同様の意味となり、これが、結果的に自身の表現に繋がっていのではないかと思っている。

 

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“アトリエの起源は、新しい教育的、体系的、世俗的、

近代的なプロジェクトの起源と一致した。 ローリス・マラグッチ”

イタリア語 google 翻訳

 

“したがって、アトリエの起源は新しい教育プロジェクトの起源と一致した。

全身、世俗的、近代的。 ローリス・マラグッチ”

英語 google 翻訳

 

アトリエとは、表現される場所、作品が生まれる場所とされていますが、個人的な考えとしては、自分自身と向き合う場所ではないかとも思う。

そして、このアトリエは、どこにでも作ることができる。オフィス自体をアトリエと呼んだっていいのです。

 

そして、タイトルの適齢期ですが「0歳〜死ぬまで」と、思っています。

誰だって表現者であり、歳も関係ない。

その機会を与えられなければ、自分でつくればいいのです。

モノ、コトを通して、客観的に自分を認識することは、ご自身を理解する助けとなってくれるはずです。

 

※写真は「ローリス・マラグッチ国際センター」にて放映されていた、内容の一部になります。

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