教育の中で、端折ってはいけないこと

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レッジョ・チルドレンの理念が学べると言われている、ローリス・マラグッチ国際センターでは、月に一度、センターで働いている職員が、市民に対して、ツアーや、コーナーごとに、案内をしてくれるという日が設けられている。

 

私は、4月、5月の機会に伺うことができたので、内容を紹介したい。

 

こちらは、ちょっとした一室の空間で開かれていたワークショップで、スタディークラスと呼ばれる内容と同じようなことを体験できるそうです。

※スタディークラスとは、レッジョ・チルドレンの教育方法を学ぶことができるクラスとなっており、世界各国から、学びに来られており、大きなビジネスとなっています。

 

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今回は、色とりどり、匂いも、手触りも異なる粘土が用意された環境で、「お世話になっている自然(木)に、感謝の気持ちを込めた贈り物をしよう」という内容でした。

 

個人的には、この環境設定は、素晴らしいと思っていました。

何が素晴らしいのかというと、見やすく設置されていること、粘土だけではなく、粘土を形成するのに使える道具、そして、粘土の種類がたくさん用意されていることです。

 

この環境だけで、この空間に入り込んだときから、ワクワクが止まりませんでした。

このワクワクは、学びにとっては、とても重要ではないかと個人的には思っています。

触ってみたい、匂いを嗅いでみたい、これで、何かしてみたいと思わせる環境設定は、ほぼ、教育としての役割を果たしていると思ってしまっています。

 

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この塊の状態の粘土を好き量使うのに、まず、どのように粘土を分けるかというところで、ここでは、こんな道具が用意されていました。説明は、割愛いたします。

 

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こんな風においておけば「こうやって使うんだ」と、言われなくても学ぶことができます。

 

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こんな作業台まで用意されていました。

 

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手動で回すことができます。

 

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こんな道具が用意されており、全部どんな感じになるのか、使ってみたくなってしまいます。

 

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好きな粘土を選び、作ったものを、木にプレゼントする。

ここまでがワークショップの流れでした。

 

 

楽しそう!

やってみたい!

木にプレゼントかぁ考えたことなかったー

土粘土にも、いろいろな種類があるんだー

 

などなど、様々な意見があると思います。

この中で、何かひとつでも学びに繋がっていただけたら、幸いです。

何かを感じてくれたら、嬉しいのです。

そして、それに答えなんてないので、その感じた、思った気持ちを大切にして欲しいのです。

 

 

個人的な意見を紹介すると、なぜ、

「お世話になっている自然(木)に、感謝の気持ちを込めた贈り物をしよう」

という流れになったのか?という、導入が、気になっています。

 

このワークショップでは、これがテーマとなっており、特にどういう経緯で、これになったのか、どうしてこれを、私たちにやらせたかったのか、疑問です。

気になって仕方なかったので、質問をすると(当時ボランティアを務めていた、日本人のスタッフ)、「センターで働いているスタッフは、先生ではなく、研修生だったりもして、よく考えられていない」という状態だった。

そうなると、一体、何を教えたかったのだろうかと、ちょっとした怒りみたいな感情が込み上げてきていた自分がいました。

 

例えば、以前、子どもから挙がった内容であるとか(贈り物をしたい!という声があったとか)、大人が考えた内容(自然と人間との関わりを学んだときの流れとしてのプロジェクトのひとつとして)であるということでもいいのだが、そんなことも触れることなく、ただ、これをやる。という教育は、私の思い描いていたレッジョ・アプローチとはかけ離れていると思ってしまった。

もしかしたら、美化しすぎてしまっていたのかもしれないとも思った。

だが、昔は良かった。のかもしれないとも思っている。

レッジョ・アプローチは、ビジネスとして大きくなっていることもあるので、それを維持するために、組織が大きくなる。大切な想い、理念が、薄くなっているのではないかとも思っている。末端の部分の状態が、このような状態だと、悲しくてしょうがない。

 

私の中では、学びは繋がっていて、なぜこれをやっているのか?ということに理由があったりすると、学びが広がっていくと考えている。

これだと、日本の教育と変わらないのではないか、とも思ってしまいました。

理由もなく、ただ、ぶつ切りにされた状態で、やることになり、それが、本当に後の方で繋がったりすることもあり、何も考えられていない状態だと(大人の思いつき、ただの気分だったり)、最悪、つながることなく、学びが終わってしまうことだってある。

 

教育者としては、その後の展開や、導入を考えることで、集中して学ぶことができるなど、いろいろなことを考えて欲しいと個人的には願っている。そして、その説明もないのは、情熱すら感じることができない。

そして、教育者が1人で考えるのではなく、いろいろな人が対話をしながら、あーでもない、こーでもない、今はこれではなく、この方がいいのではないか、など、話し合って決めて欲しいというのが、願望としてある。

 

時間がないというのは、どの業界もそうであるかもしれないが、ここに時間をかけないで、一体どこに時間をかけているのだろうかと思ってしまう。大切なこと、当たり前のことが出来ていないのは、日本だけではないと思うと、悲しくて仕方がない。

ローリス・マラグッチ氏が考えた教育は、恐らく衰退しているのであろう。

だが、環境設定の部分については、私は素晴らしいと思っている。これが、昔から受け継がれているのか、それとも、改善されているのか、もしくは、衰退してこの状態なのか、衰退してこの状態であれば、ぜひとも、全盛期を知りたいと強く願う。

 

環境設定の中に必要な要素は、美しさであり、その美しさに目を奪われたり、ワクワクし、好奇心をくすぐられるのは、人間の本能であると考えられるからだ。

レッジョエミリアで行われている教育に目を奪われるのは、そこに美しさがあるからだと、改めて痛感されらました。

 

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