自我が目覚めることで、精神が不安に襲われる原因にもなる

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宗教について、考える機会は、ありますでしょうか。

 

日本人は、私も含め「無宗教」とされている方が、多いのが現状ではないでしょうか。

実際には、仏教が根強く文化に残っていたり、クリスマスにはケーキを食べるなど、たまにキリスト教が入ってきたり、日本は、経済を回すために、都合よく宗教の習慣を取り入れているようにも思えます。

それが、悪いと言っているワケではなく、これが、日本の特質であると思っております。

 

宗教は、歴史であり、人々の心の支えとして、神秘的な存在でいてくれているということも、また、確かなのです。

 

宗教に入っているということで、差別的に見られてしまうというのは、日本人特有なのかもしれません。

海外では、宗教の神を巡って、戦争が起きてしまったり、お国柄もあったりしますが、宗教と共に国が成り立ち、歴史ができているのですから、人類史でもあり、グローバル化していく日本にとっては、宗教の理解は、必要な要素となってきます。

 

無宗教の方でも、どうしようもなく、藁をもすがりたいほど、助けてほしいとき、精神的に、支えが欲しい時など、神の存在を都合よく利用することもあります。

 

形式的には、カトリック、クリスチャンの外国人の方でも、以前ほど、厳格さはなくなってきている傾向にあり、宗教からの束縛から解放され、この結果、人々は自我に目覚めることに繋がってきたのだそうです。

良いか悪いかではなく、このことによって、人々の心は、不安にも襲われるようになったのだそうです。

 

宗教は、心の支えであり、道しるべ、精神安定としての役割もあり、人間としての存在を、教えてくれる存在であったというワケなのです。

 

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日本人が、自殺者が多い理由の要因のひとつとして、無宗教であるということも、考えられるのではないかと、個人的には思ってしまいました。

 

キリスト教では、自殺をすると地獄に落ちると言われており、それは、小さい頃から知っていることなので、何があろうと、自殺をするという選択肢にはならないのかもしれません。

また、ミサに行ったり、懺悔をしたりして、心をリセットしたり、悔い改めることによって、生きる活力になっているのかもしれません。

 

日本では、懺悔することは、醜いことであったり、墓まで持っていくなど、そんな文化があり、許すなんて考えすらないのですから、抱えていく一方で、抱えきれなくなったら、自殺というような状態なのかもしれません。

 

今でも自殺は、美徳と思っている人は、現在ではいないと思いますが、自殺をすることで、どうなってしまうのか、残される人の身になった場合には、むしろ残酷な時間しか残らないのです。

もしかしたら、この残酷な時間が「地獄に落ちる」ということなのかもしれませんね。

 

 

『図解雑学 殺人犯罪学』 東京工業大学教授 影山任佐

 

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