「グラッサ」が、豊かな教育を生み出す

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11世紀以降(中世)のボローニャの町の歴史について、ボローニャ大学教授の「マリア・ジュゼッピーナ・ムッツァレッリ」さん(歴史学者)に、インタビューされた様子が、テレビで放送されていました。

 

教授とのインタビューは、ボローニャ中心街にある、レストランで行われていました。その内容を、紹介したいと思います。

 

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ボローニャは、街の中心部があり、この都市は、周辺の農村地帯と、強く結びついているというのが、特徴です。

その農村地帯で育てられた、農作物が、この都市に集まり、このような方法で、都市を反映させた町は、豊かな町として、「グラッサ」と呼ばれていたそうです。

 

市場は、都市を作っていくので、都市と市場は、強固な関係となっています。

このような町の形は、ボローニャだけではなく、特にボローニャにある、エミリア・ロマーニャ州や、ポー川流域で顕著なのだそうです。

この市場が実現したのは、肥沃な土地があり、豊かな土地があったお陰なのだとか。この土地があったからこそ、ボローニャと、その伝説が生まれたというワケです。

 

そして、この都市の伝説は、11世紀に始まったそうなのです。

伝説と聞くと、RPGのようなお伽話のように聞こえますが、教授は、現実の歴史そのものであると語っています。

 

この11世紀に、大学が生まれており、現在の都市の姿が築かれたそうです。

逆に言うと、その時から、変わらない姿ということになります。

個性がしっかりと保たれながら、よく計算されている都市だからこそ、残っているとも言えます。

 

この都市には、はっきりとしたプランがあり、法令では、ポルティコと呼ばれている「柱廊」が定められていたそうです。

建物の出入り口にある、アーケードです。私自身も、写真に納めています。

全長37〜38㎞の「柱廊」があり、世界的に見ても唯一なのだそうです。

このような「柱廊」は、モデナにもあるそうですが、規模が異なるそうです。

だから、この写真の「柱廊」は、ボローニャのモノより、低いということです。

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この「柱廊」は、歴史的には、建物前面に、スペースを広げようという、個人的な発案であったことが読み取れるそうです。

突き出した上階を支えるために、「柱廊」が作られたという、経緯があるのだそうです。

それから、この「柱廊」を、奨励するという、政策も取られ、13世紀末には、1288年の条例集には、すべての家に、「柱廊」が義務づけられているそうです。

 

都市を特徴づける、要素は、「柱廊」の他に、「塔」と教授は言います。

当時では、この塔を建てる理由を、誰もが知っていることで、塔は、明白に「家族の権力の印」とされているのだそうです。

その他には、防衛の目的であったり、流行ということもあると考えられており、つまりは、この「塔」は、都市を象徴しているということです。

 

このボローニャの都市を象徴するモノは、「柱廊」「塔」「大学」「料理」の4つであるということです。

そして、教授が強調したいことは、都市と農村の関係の部分で、ボローニャでは、農業生産についても、都市として考えられている以上に、将来の見通しを立て、計画を練り、管理をしてきたのだそうです。

 

この要素によって、豊穣であり、富裕な町という伝説をつくり出したという、お話でした。

 

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教授の話は、以上になります。続きの話もありますが、それは、また今度にします。

 

個人的に、町に興味があったので、タイミングよく、こういった話しが聞けたことは、幸運でした。

 

たまたまなのですが、興味のあったレッジョ・エミリアも、このように農家と都市との連携がしっかりと取れていました。農村が近いことで、新鮮な野菜を得ることができ、自給力のある町になっている。

以前から、自然豊かで、町を抜ければ、すぐに農村地帯になるということを、文献で知っていた。グーグルアースで地図を見た時にも、このレッジョ・エミリアは、自然に囲まれ、そして、新鮮な野菜をいつでも、いただくことができる環境であるということが、事前に知っていた。

 

私の仮説では、ローマや、ミラノのように、大きな都市にはできないが、小さな町であるにも関わらず、「食」の部分で、自給できていることは、町が自立している証拠になります。

NHKの「世界入りにくい居酒屋」という番組で、ボローニャの居酒屋を特集してくれたことがあり、そこには、イタリアは、市民同士の絆が強く、敵が攻めてきた時には、自分たちの町は、自分たちで守る団結力がある、ということを言っていました。

日本も同様ですが、国民の意識よりも、市民の絆が知らない間にあり、それが、地元の野球チームだったり、うちが首都であると言ったり、東京には負けないという冷戦があったりと、こういうことが、イタリアでも起こっています。

ナポリ人の方が、出稼ぎでレッジョに来てはいるが、食べ物の文化や、生活は、生粋のナポリっ子で、その精神を曲げることは、絶対にないようです。

イタリアに行ったことで、国民という意識よりも、市民という意識が強いということが、肌で感じることができた。

だから、町が自立していて、仕事があり、食べ物があるということは、誇らしいことなのだということも感じることができる。

 

 

子どもにとっては、農作物が実際に作られている場所を、少し離れれば見ることもでき、食育にもつながる。

豊かな自然があることによって、学ぶ環境が整えられている。それでいながら、田舎ではなく、大都市でもないので、人と人との距離が違いのも特徴的だ。この環境は、子どもたちにとっては、とても恵まれていると個人的には思う。

町が自立しているからこそ、レッジョアプローチという、教育方法も、生み出せ、それを実現することが、できたのではないかとも考えられます。

教育は大事ですが、まずは、生活が大事であるというが、このことから学ぶことができ、生活が豊かになることで、教育も豊かになるのではないかと、個人的には思いました。

 

 

 

放送大学|初歩のイタリア語 第13回「おいしいイタリア3:タリアテッレをつくる」

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